槍ヶ岳(3180m)初登頂した播隆(ばんりゅう)上人

停滞台風で蒸し暑く、なんだか力が入らない週初めです。2日ほど前には、ツクツクボウシが鳴き始め、昨夜からコオロギの声が聞こえてきました。

今日、8月8日は立秋だそうです。虫たちはこの酷暑の中でも、ちゃんと季節通りに反応していますね。朝ジョグのスタート時は薄暗くなってきました。少しづづ秋の気配を感じますが、みなさんは、小さい秋を見つけられてますでしょうか?

さてさて、そんな中、お盆休みの山行のことも考えつつ、今日は5年前に登った槍ヶ岳について、思い出して書いてみようと思います。実は、この間の7月3連休、当初の予定は槍ヶ岳だったのですが、お天気の都合で塩見岳に変更になりました。いつも天候に翻弄されております。お盆もまた台風がぽこぽこ発生して、やきもきしますね。

登山を始めたからには、多くの人が一度は登ってみたいと考える槍ヶ岳。一度目の計画は、双六岳から西鎌尾根経由で登る予定でしたが、荒天で下山。2度目の計画も、再び荒天で断念しました

今度こそ!と2018年9月に3度目を計画、再び友人と女子2名でトライすることに。しかし、出発前日の大雨で「ムムム、又しても…」と諦めモードになりかけましたが、上高地に着く頃には風雨が止みそうな予報となったので、とりあえず、上高地からの槍沢ルート&小屋泊に変更し決行しました。

早朝大阪を出発し、お昼前に上高地着、梓川は前日の雨で水量が多く濁っていました。いつも旅行客で賑わう上高地ですが、人は随分少なめでした。その日は槍沢ロッジまでてくてく歩き宿泊。

翌朝目覚めると快晴の無風、空はすっきり晴れ渡り、絶好の登山日和となりました。順調に歩き進み、渋滞することもなく、岩場やはしごをよっこらしょっと登り、快適に槍ヶ岳に登頂。3度目にしてようやく踏めた山頂、嬉しさひとしおで、ヤッホーと写真を撮りまくり、小躍りするくらいの景色にうっとりしました。

遠くから見てもひと際目立つとんがった山頂、山は沢山あれど、存在感のある槍ヶ岳です。

槍ヶ岳の初登頂者は、播隆(ばんりゅう)という越中生まれの僧侶、1823年に笠ヶ岳から槍ヶ岳の神々しい姿を望み、登頂しようと決めたとのこと。その5年後の1828年に槍ヶ岳登頂達成。

当時はもちろん、鎖もはしごも無かったわけで、足元はわらじとかそんなのだったのだろうか。昔の人は剛健ですね。現代のあらゆる装備を駆使した軟弱気味の登山者を、「もうちょっと、しっかり歩きなさいよー」と雲の上から激励しているかもしれませんね。

播隆(ばんりゅう)は、その後も槍ヶ岳に登り、道を直したり、頂上を整備したりして、信者に登拝を勧めたそうで、登拝者の安全のために鉄の鎖をつけることを計画したとき、天保の大飢饉があり、村人はその凶作を彼の登山のせいにして鎖をつけることを禁止。しかし、その後、豊作の年が来て、鎖をつけることを許されたそうです。

信者さんにも槍ヶ岳の頂上に立ってもらいたく、尽力されたのですね。すごいお坊さんです。仏教界に失望し、人生をほぼ苦行僧として過ごしたとのこと。

徳川幕府の檀家制度によって、寺に資金が集まり、僧侶が堕落していく中、播隆上人は抗って独自の道を進んで成し遂げた槍ヶ岳の開山。現代にも通ずる道ですね。

古今東西、組織化された中で「ここラクチンやし、適当にしてたらいけるやん」と皆が思考と前進を放棄してしまうと、その組織全体が堕落化してしまうのが世の常。今の日本政府がこの状態なのかもしれないですね。

帰りは、横尾山荘で、旅館みたいなお風呂とお部屋でのんびり宿泊しました。テントもいいけど、お風呂のある小屋はとても快適。登頂後の充実感とともに眠りにつきました。

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